ブログの方に同じようなタイトルの文を書きました。中3が宿題をチョンボするのです。
「なんでや?」と私は思います。結局後で自分が困るってことは自明の理なのに。部活の終了とともに本格的な受験勉強に突入のはずです。その約束で「文武両道」なんていう難しいことを認めてきたはずではないですか?部活が終わったら「ゆっくりする」ではまるで約束が違う。
ましてや「エース」はそんな考えをよしとする進学教室ではない。
誰の為に勉強するのか・・・・自分の為でしょう?何をするにも柔軟な頭が必要です。元論、学校の座学、そしてテストでは計れない「賢さ」があります。其の開発もしているのです。だから、「テストの点数に現れないから、進歩がない」と言うことはありません。自分の人生は、自分のものです。
嫌なことを言うと「大人は今までの経験で次の世の中を考える傾向が強い」と思います。しかし、これからの世の中は変わる。どうかわるか?の予測はむづかしいけれど、変わることには異論はないのではありませんか?その変わった環境で生きていくためには「環境に適応する」柔軟性、学習力が必要なはずです。
単に「高校へ行くために入試をせにゃならん」と言うだけでは「本当に時間の無駄」です。中高一貫が、高大連携が望ましいということになりますね。しかし、必ずしもそうではないとすると「やっぱり、入試には何らかの価値がある」と多くの人が認めていると思うんです。それは、「これから生きる上で役立つものが手に入る価値がある」と言うことではないでしょうか?それを「見出した入試」を私は「いい入試」と呼んでいます。塾生の皆に「いい入試」をしてほしい、いろいろな事情・・特に経済的な事情はあるとは思いますが、「いい入試」を経験してほしいのです。合格すればいい入試・・・そうではないと思います。そんな人間の生き方は、単純ではないですよね。自分の実力以下に「出願高校」を下げれば「合格」しますもの。それで果たして「価値あるものが手に入る」んでしょうか?
だらだらと中3の後半を過ごし、入試直前に「家庭教師」を依頼して気分だけ勉強した風に装い、それで「充実した生」を感じ取れますか?自分の志望高校がランクが低くてもいいのです。自分の限界を幾度越えたか?それのみが
将来あなたが親になった時(今と立場を変えた時)子供に向かって言える言葉ですよ。自分がやってないことを
子供に向かって「やりなさい」と言っても全く説得力がない。あなた方、思春期の皆さんはそういう「大人のウソ」はよくよく見破るでしょう。いずれは所を変えて「貴方が如何に入試に臨んだのか」を語る立場になります。その時
胸を張って言えますか?「自分はベストかどうか知らないが、やれることはやりきったぞ」と。