過ぎてみて分かることが如何に多いか?中年になって思います。自分がたどったような辛いめを子供にはさせたくない・・・この思いが口うるさくするもとなんです。
本当に「心配」で「心配」でたまらない・・・・しかし子供には伝わらない。このじれったさ。自分が味わった思い、苦痛、恥ずかしさ・・・それを生かしてくれたらちょっとは今より社会的なステイタスも上がるか?・・・・しかし「親の心子知らず」で、「うるさい」
「黙れ」など雑言が返ってきます。私自身、それに対して「まともに腹を立て、怒り、叫んで」来ました。それによって子供が良くなったか?・・・・いいえ、変わりません。反って「反抗心」のみ煽り立てただけのようです。自分の行為の誤りを今は正直に認めつつも、半分は「腹を未だ立てています」ね。「こいつら~!」って。「言うことを聞かんかったから今の状態なんだよ」って我が子ながらに思います。
お母さん、小言を言うことは止めないでくださいね。特に男の子は聞いてはいませんが言われないと寂しくなっちゃうというめんどくさいところがあるんです。そして、女の子より精神的成熟も遅いのです。まあ、おぼこいのですね。反抗期ですから「わわわわわわわ」と言ったり、たま~には、通気が良くなるように「壁に穴」をあけたりしますがまあ、外でしないなら大丈夫です。
私は「いつか来た道」などという言葉はキライです。ちょっとずつでも進歩・発展してほしいのです。でも、焦ってもいけないと申しておきます。なんせ、十数年かけて育ってきたのですから、一言二言で「がらっと」変わるなんてありえないのです。地道にいきましょう。
時には「外部の手」を借りることも大切です。外部と言っても「おじいちゃんやおばあちゃん」「オジサンおばさん」「学校の先生」そして「エース進学」もです。
お子様たちは、「本物と偽物」のニオイをかぎ分けるのは鋭敏です。「キミたちの気持ちは分かる」なんて言うウソはすぐにわかります。だから私は全く媚びませんし、媚びたくもない。「👹タカギ」なんて楽しいことを言われても「わはははは」と笑いとばせます。「先生」とは本来「先に真理と出会い生きる人」を指すそうですが、私には小難しいことは分かりません。「先に生きている人」・・・この「生きている」が重要だと思うんです。子供たちから見て「この人、生きてるよなあ!!」っていう活力、活気にあふれてぷりぷりしている、そんな姿を見せられるか・・・それがこれからの挑戦です!