善意の人が殺害されました。邦人の被害者がでました。いままで「ジャーナリスト」があえて入国し殺害されるという事件はありましたが一般の国民は遠いところの話ととらえていたのではないでしょうか?海外勤務は、そう珍しくない時代です。
アメリカの貿易センタービルの事件・・・すでに「歴史」として扱われていますが、私はあの時刻、既に出勤し塾の業務に追われていました。定時に出勤した事務職員から「大変なことが起こったようです」との言葉は聞きましたが余り心に留めませんでした。帰宅後、「ジェット機が突っ込み、ツウィンタワーが崩壊するシーン」をニュースで見た時「これで世界は変わってしまった」と肝をつぶしました。
アメリカ合衆国は、大戦中「日本が潜水艦を使って小規模な攻撃をした、または風船爆弾で山火事を起こした」程度しか本土は、戦争の脅威にさらされたことがないのです。ベトナム戦で「兵士と民間人の区別のない戦」に直面しました。これも大ショックだったのです。すでに「沖縄戦」でそういう闘いの地獄の様相を知っていたにも関わらずアメリカは突入してしまい、泥沼に引きづり込まれたのです。
同じような変化が「アメリカ国内」であるに違いない、世界でもあるにちがいないと思いました。
今、世界は「不寛容」に向かって突進している気がするのです。ある塾生の保護者様から「先生は何か宗教をされているのですか?」と尋ねられました。結構、聖書からの引用しますからね。カルトか新興宗教かと心配されたんでしょう。これ伝説ですからね、笑っておいてくださいね。古事記の創造の三神、高御産巣日神(高木神)の子、思金尊より出る・・・・と系図にありますので一応我が家は「神道」です。しかし、高校時代から「これから国際化が進めば他宗教とも接するだろう、自分の宗教と他の宗教を知る必要がある」と、まずは聖書の読破を試みました・・・これは出来た。お経も注釈を交えながらいくらか読んでみた。実際、外国人の友人がいますが「聖書」の知識は役立ちます。世界史もやっておいてよかった!(日本史はもともと大好きなので)
黒人の公民権運動の歴史などを読むうちに「イスラム」「ムスリム」への関心が出ていました。これは「コーラン」を読まないといけないなと「アラビア語学習」を始めましたが6年経っても進展しません。コーランはアラビア語で読んでこそ意味があるそうなんです。「神はアラビア語でかたられた」からだそうです。
日本の教育現場では「宗教」について学ぶことは皆無と言っていいでしょう。今年改定の地理(の教科書)にはやっとちょろっと出ています。神道もね。最近では、どの私立中学・高校もグローバル化グローバル化と言いまくり、英語英語をあおります、そして公立でも同じです。今、「年少さん」の英語教室は大人気です。
しかし私は疑義を持っています。「英語遣い」のアジア系無国籍人を作りたいのか?それとも、ネイディブじゃないのだからヘタクソでも「内容のあることを話せる」・・・・コイツは頭いいな!・・・って思わせる日本人を育てたいのか?どっちだって考えてしまいます。
宗教について教えないでは、将来お子様が「カルト集団」に巻き込まれるという耐性の無さが露呈するかもしれませんし、現在の世界の状態も理解できないでしょう。バングラデシュの大統領は「イスラムは平和の教えです。イスラムの名で人を殺すのはやめてください。」と訴えていました。多くのイスラムの方の意見でしょう。間もなく推計では「イスラム教」が世界で信者数が最も多い宗教になります。イスラムも1つではなく各派あるという基本さえ子供たちは知りません。こんな状態では「とにかくイスラムはコワイ」・・・・こんな流言飛語のもと何が起こるかわかりません。正しく世の中を知ること・・・・最近 最も「お子様方が関心を示さない分野」なんです。グルーバルどころか「自分にしか関心がない」のは、私は大変な事態と言わなければならないと思います。