小学生は関係会ないよ・・・って、「期末テストだ!」って騒いでいるのを感じてこられましたか?よく、「中1ギャップ」なんて言われております。「小学校では普通にできていたうちの子がなんで中学1年になった途端、ぼろぼろなの?」という「小学校の学力観」と「中学校の学力観」の相違のことを指します。
正直申して、小学校のかなり早いうちから「学力の差」は生じています。うちに来られて「なんとか頑張りますから」ということで1月にお引き受けいたしました中学2年生が4月で去って行かれました。保護者様は「遅れているのは,中1の勉強だ」と思われていた節がありますが「実際は、小学3~4年のかなりの部分が理解できていない状態であったろう」と推測されます。「小学校の間は問題はありませんでしたか?」というこちらの問いに「学校の先生からも勉強が遅れているというお話は聞いていません」・・・・う~ん、お母さん、自分の眼で見てないな?・・という状態もありました。学校の先生が「かなり遅れています」とおっしゃるのは、非常事態です。言う先生も辛いです。(でも、人間的にはえらい方だと思います。自分の授業で理解させえないことを率直に保護者様に話すのは極度の覚悟がいります。)エースは補習塾ではありません。しかし、余りに熱心に「週7日でも通ってなんとかしたい」とおっしゃる(生徒ご本人も)ので、「じゃあ、3か月様子を見ましょう」・・・・と言うことでした。やっぱり、中1後半の勉強をしつつ、小学校の補完をする・・・これは「こちらの労力も大変」ですが、「生徒様の労力」も大変だと思います。授業日は連日夜の11時まで教えることが毎回続きました。可哀想だけど「小学生のプリント」もさせました。分数がわからない・・これはね・・・・。しかし、間違って覚えてきたことが「定着」してしまっている・・新しい正しいやり方(概念)で「上書きされる」のを拒むのです。こんな経験はありませんか?1度間違って覚えた「漢字」はいつも間違える、分かってはいるんだけど・・・・友達の「達」・・・・中は「羊」ですよね・・・「半」って書く子が(まあ、大人も)30人には1人はいます。
やはり・・・・甘かった・・・・私の見通しが。「家庭学習は何時間なの?」・・・言い渋る。
結局言ったのが「1時間」・・・・もうしわありませんが自己申告の8掛けか6掛けで考えないといけないでしょう。結局、お母さまに「このままでは変化が期待できません、3月下旬まで様子を見ますがその後の指導の形態等は懇談させてください」と申しあげました。
今だから申せますが、「時を逸した」としか言いようがありません。何度も申しますが現在の「小学校のテスト」では100点取って当たり前。80点でいいか!とか「〇」ならいいか?とかいうようなものではありません。学習内容が私の頃よりあまりにも削減されています。(ゆとり教育が去り、指導要領の改編により学習内容が戻ったと言っても、義務教育全体で見れば50年前の80%しか教えていません。・・・・世の中がこれほど進んでいるのに、学習内容が減少していること自体がおかしくないですか)
もともと、教育の全てを「学校」に押し付けるのは私は間違いだと思っています。たとえば就学前に「家庭内でしつけをする」のは当然家庭のするべきこと。お尻の拭き方から、トイレを汚したときの対応まで全部先生やってください・・は少し違うと思います。就学前・・幼稚園で団体で動くことを学びます。それより前に家庭で「みんなと一緒の時は当するんだよ」って教えないと、授業(まあ、お遊戯でもいい)中に立ってどっかに行っちゃうなんてことが起こります。今は、授業中に立って歩く生徒を、教師が叱る、腕を取って席に戻そうとする(威嚇する、暴行する・・・そう取られるのですが)と、問題発生となります。
義務教育とは何か?学校で身につくことは何か?・・・・足らないものはなにか?その足らないところを学校へ求めるべきか?・・・・考える時に来ているのではないでしょうか?
私は思うに学制発布以来「平均的国民を育成する」ことが「公立小学、中学校」の目的であり、それ以上を求めるなら「自助」努力せよ・・・それが本来の形ではないかと思うんです。
大きな問題はその「平均」が、ゆとり教育以来下がってしまったことであり、教育と名のつくことは「学校がする」という錯覚が社会に受け入れられたことだと思います。「家庭教育」があってこそ「学校教育」があり、「学校教育」があってこそ、「学校外学習」があると思うのです。
私たち「エース」は、より学びたい、学ばせたい方を心からお待ちしています。