私自身、「暇か」と言えば「多忙」でしょう。しかし、新聞を読むこと、ニュースを見ること、読書をすること、「トト姉ちゃん」を見ることは欠かせません。
生徒の中には「1か月に1冊も本を読まない」者がいますが、読書が「功利的に考えて、入試に役立つとか、学力の向上に役立つとかが無くとも、生活に不可欠なもの」だと思います。
もちろん、別世界への入り口としての読書もあります。しかし、実益がある読書も重要です。世の中にこれほど「勉強の仕方」の本が氾濫していても、読んで研究しているという話はついぞ聞かない。しかし「うちの子は勉強の仕方がわからないのです」と訴えるお母さまは絶えません。
まず、お子様に「勉強の仕方」の本を10冊ばかり読ませてはいかがか?と思います。そのうち、「これは自分に合いそうだ」というのを実践してみればよろしい。なぜ「勉強の仕方」は直接、人から人へ伝えないといけないものなのか・・・誠に不思議です。正直なところ、お子様に合った「勉強方法」は、今は存在しません。先人の知恵のうち自分に合った使えるものを、自分用に工夫、加工して使う・・・結局、新規に作るしかないのです。その創意工夫をするかしないか・・・「一生もん」を手に入れるか入れられないか?大きな分かれ道です。
既存のシステムに「ポコッて」入って、すべてうまくいく・・・それはありません。頭に「なんとかギア」とか、つけたら勉強ができる・・・もうカルトですよね。
新規探求性・・・人間にとってとても大切なことです。
本を読む時間はいくらでもあります。お風呂でどうでしょう、私はしています。トイレでどうでしょう?私はしています。見たいテレビ番組の始まる前にどうでしょう。私はそうしています。1日70ページ程度は読めますよ。
でも、お子さんだけに「本読め!」は止めませんか?大人がお手本を見せないではねえ。