「勉強きらいや」・・・「それでいいやん」・・と私はいつも言います。
なんで好きにならんといかんの?・・生徒はぽかんとします。
私自身「勉強」嫌いです。まず、「勉強」という文字がイカン。「勉めて強いる」でしょう。本人の意志と関係なく強制される・・・こんな「奴隷のような扱い」をされて「楽しい」と言うのはちょっと考えられない。私は「学問は好き」ですよ。学びたいことを学ぶ・・これは大変楽しい。まあ、「学問」をする前には「勉強」という刷り込みの時期が必要なんでしょう。でも、楽しいか・・・う~ん、嫌だな。しかし、「勉強にもいいところ」はある。この世の中でこの「小学生・中学生・高校ははいるかな?」の間は、誠に公平に扱われる。たとえば中間テストがある。ある人は20時間かけて勉強して90点取った。ある人は全く勉強しないで90点とった。90点同士・・・同じですよね。
掛った時間は関係ない。出た結果だけで「評価してもらえる」・・・ハッピー!これを損と言う人がいる。なんでなんだろう?世の中では、同じ点数なら、勉強しないでも取った方を優秀とする。努力したか、しないかなんか何も関係ない。同じ仕事を、同じ程度に早く済ませる方が雇用される・・・皆さんが社長なら当然そうするでしょう。
ところが、学生のうちはそうじゃない。何時間かけようとかまわない。そこは評価に含まない。
保護者様の中には、「私は塾にもいかなかったし、勉強もしなかった。しかしトップの高校に行き、かなりの大学を出た」という方がおられると思います。そして今もガンガン仕事を為さる。自分の子供もそうだ!そんなに勉強する必要があるはずがない・・・自分はしなくても出来た。お気持ちはわかります。しかし、お子様はDNAは極めて保護者様に似ていても明らかに「別人格」「別人」です。同じではありません。私は、決して上記のように勉強しないで来れたわけでは全くありません。むしろ自分の才能の無さに「泣きながら来た」のが実態です。
しかし、そんな親でも(私でも)自分の子供には、もうちょっとできるだろう、俺がこれくらいは出来たんだから・・・と接しました。親子の大きなしこりを残すもとになりました。私でもこの程度できたんだから・・・・
同一視してたんですね。親子と言えども違う人間でした。その気持ちを汲み取ることができず、理屈で(理性でと言い換えてもいいでしょうか)理解してくれるものと思っていましたが、そうではありませんでした。自分の子育てには大きな失敗があったと認めます。
皆さんには同じ轍を踏まないでほしいと思います。世界で唯一無二の「親子」という関係をこじらせてしまうことの悲惨さ、無かったことにはならないのです。
「学校での勉強が如何に公平でheavenのようなもの」ということを教えてあげてください。世の中は「理不尽に満ちています」よね。私が偏屈なんでしょうか?「学校での勉強の世界は唯一公正公平な世界」だと思うんです。