わたしは、昨日も「入塾面談」をしながら なぜ、この生徒の担当者は、お子様の状態を正確に保護者様に伝えないのだろうと同じ業界人(顔も知らないが)に怒りを感じていた。「明らかに家庭での勉強量が足らない・毎日していない」「だから私の指導時間だけでは、伸ばせない、下がるのを止めることもできるかどうかわからない」「現在の成績では、ご希望される高校の合格レベルに入試までの期間に到達できません」と言えば、「自分の飯の種」が一つ減るからであろうか?
何でも正直に言えばよいものではないことは、愚直な私にも分かります。
しかし己の「飯の種」のために「事実を告げなくてもいいのだろうか」と私も煩悶します。医師や教師は、時に「極正直」でないと重大な「時間のロス」を生むことがあると思うのです。すぐなら間に合ったというケースです。
ものの言い方は、工夫しなければならないだろうと思います。
相手様が「感情に駆られて前後の見境が無くなるような修羅場は創りだすべきではない」だろうし「ただ絶望感に打ちひしがれるだけにならぬ」ように一筋の光明も見出しておかねばならないでしょう。しかし、「事実本体」は正しく伝えないと「伝えたこと」にはならないのではないか?と愚考するのであります。
「勉強の量を増やされたらどうなと・・・・・」
「今のままでいいのかな?と疑問に思うんですが・・・・・」
察せよ・・ということであろうか?私はこれには誠におかしいと思うのであります。先様が十分お分かりならば「輪を掛けて」申し上げることもありますまい。
しかし、そうでないなら「申すのが私たちの職業倫理」とでございましょうし、お月謝に対する「誠意」であろうかと私は思います。お客様は、エース進学ゼミでは「歯に衣着せぬ」ひどいことを言無礼なやつだ、とご立腹かもしれません。しかし、率直に申さねば、ご一緒だったお子様の目が覚めないと腹をくくったからです。何事でもそうですが、悪化し始めてから時間が立ちますと、実際の状態は見えているよりもかなり悪いものです。お話ししていて現実を理解していないなと思ったからです。
私たちエース進学ゼミは、少なくとも「入塾頂く時点では、ご希望の志望高校へ合格させる」と我ら自ら決意をし、また入塾される生徒様にも求めお互い誠意を尽く取り決めをいたします。
この度、授業内で行う「確認テスト」「サバイバルテスト」の扱いをあくまで添え物として考え、授業後は本来あるべき「質問者への対応」「こちらから声をかけての居残り補習」を中心に置きたいのです。
そのためには、塾生の皆さまそして保護者様のご協力と理解がなくてはできません。「確認テスト」「サバイバルテスト」に受かる様に家庭・自主勉強するのが本義であるのに、「確認テスト」「サバイバルテスト」の再テストに受かることが「勉強だという満足感」また「勉強したという安心感」という2次処理物をありがたがるというような本末転倒なことが誠に少数ながら起こっておりました。
繰り返すことになりますが「確認テスト」・・・前回の授業内容の理解度を確認するテスト、または「指示された暗記物を暗記してくる」その程度を確認するテストのこと。
「サバイバルテスト」・・・・今日の授業で「ここは分かっていないと、家に帰っても宿題もできないし、授業に参加していたとは言えまいというレベルの内容を出題する」もの。
入塾間もない方が勝手が分からず、数回不合格になる・・・これは分かります。しかし、「負けの常習者」がいるわけです。はじめから「受かろうとはしていない」「形だけの勝負をする」・・・負ける戦をする輩です。私は「負け癖」というものはつくものと考えています。なんで、日常の授業のテストに負けてばかりで、入試には合格すると己を信じることができるでしょうか?日々の小さな「勝利」の積み重ねこそ大きな勝利の下地となると私は考えます。負けるのが悪いのではありませんよ。勝つ工夫をはじめからしていない、しようとしないことが問題と申しています。
塾生の皆さまそして保護者様のご協力をお願いしたいのはここです。一人ひとりが、「確認テスト」「サバイバルテスト」に合格するのが当たり前という意識となれば、おのずとクラスの雰囲気も良くなり、ましてや学力の水準もあがるというもの。ちっぽけな塾の盛衰などはたいした問題ではございません。皆様方の大切なお子様・・そうあなたご自身の近い未来の為なのです。どうぞ力をお貸しいただきたと思います。