もちろん、足元はふらつきますし、どうにも「調子がわるい」。時に咳き込めば「肺が破れるんじゃないか?」という位痛みますし、頭もわれるように痛みます。
なんで、代わりの人に代われる仕事につかなかったんだ・・・最も思うのはこういう時です。要は「組織の部品として生きる生き方」なら、とも思います。
でも・・・・「こうとしか生きようのない人生もある」とも思うんですね。私は、組織の部品として「かなり優秀に回転することができると思います」・・・・自由度が高ければ。人工知能ではありませんが「学習機能も保持しています」のでどんどんできることが増えてきます。それに合わせた挑戦的部門や使い方をしていただければ、かなり「お安い」買い物になったと思うんですが、どうも今まで私を雇用した「会社(塾)」はそういう使い方をしませんでしたね。講師以外の部分でかなり大きく稼いでくると思うんですけど・・・・(学校の改革のコンサルティングとか、CM企画立案とか実際「副業」としてしていました・・・だってさせてくれないのですもん)「私の頭を押さえようとする」のが居て、足を引くとか、わなを仕掛けるとか、私の案をとって自分の案として上長に挙げるとか・・・そんなことして何かいいことあるの?という小さい人たちでした。私は「自由に能力を発揮したい」のであり、塾内の派閥抗争には関心が全くありませんでした。アホラシイにつきます。
だから、いくら体がきつくても「自分で選んだ道だから」って思うんです
たとえ、「体が割けようとも・・・後悔はするか!」と思っています。負けるもんですか?えっ・・・死んだらどうする・・・・このまではいかない様にしますし、もしそうなっても「塾のあの先生は、塾に打ち込みすぎて死んでしまわはった」って、お子様の心に残りませんか?
世中には、身近なところに(たぶんこれをお読みのお父様・お母さま自身が)「命を懸けて己の仕事を果たす」ことをされているであろうと思うんです。残念ながら、お父様お母様の仕事場が「居住空間と異なる」ので、お子さんは目にしていないのです。お父様が、「お客様のクレームに最敬礼で謝罪されていること」・・・必ずしもこちらは悪くなくても、お母さま同志の集まりで「いやな話になって傷ついても聞き流している」・・・・をお子さんたちは知らないのです。
私は、アルバイトだろうと派遣だろうと、正規採用だろうと「その仕事に対する責任」は変わらないと思います。
「同一労働同一賃金」と言います以上、「同一労働同一責任」と思います。「アルバイトですから・・・」こんなことを言う人を私は、そんな優秀であろうと「正規雇用したい」とは思いません。
誰を恨むことのないのです。
今日をありがとうございます。