今日は小学校の卒業式。今ではこの「式典」が、小学生と決別する「式典」であり「けじめ」であることは分かります。小学6年生にとっても、また保護者様にとっても。
中学に入学されるにあたり、お子様への接し方も改めることになると思います。何から何まで準備していた・・時代は終わります。小学校1年などは、ランドセル(ランリック)の中を検め、時間割ができているか、確認していましたものね。鉛筆は削れているかも。
しかし、もうそういう年代は終わります。まだまだ大人とは言えませんが、「中」大人ぐらいの意識は持ってほしいもの。「自主」「自律」と「自立」・・・中学時代の大きな課題ですね。この写真は、親の引いたレールを歩くという意味ではなく、「お子様は自分の足であるかねばならない」という意味です。しかし、大きな盲点があります。それでは歩けないということです。既に「小学校時代に学習上の問題を抱えている場合」です。「小学校時代、何も担任の先生から言われなかった」・・・だから、大丈夫。それは本当でしょうか?
この度、ある中学生徒がこのエースを去っていきます。大変残念ながら、「お子様の現状の学力を向上させることが極めて困難である」と判断されたからです。すでに「つまづき」は「小3ないし小4にあった」と私たちは判断しています。「小学校の先生から何か指摘されたことはありませんでしたか?」という問いに「特になかったと思います」とのお母さまの御答えでした。「う~ん、そうだろうか?」・・・私は大いに悩みました。もしかすると「誰もこの子の抱える問題へ踏み込んで行かなかった・・・踏み込めば時に保護者様を怒らせる可能性もあるから・・」のではないかとも思いました。指導していれば、気づかないはずがないのです。そのお子さんの理解が誠に表面的に終わっていることが。2ケタ×1ケタの暗算も、筆算をしていました。こちらがそれを禁じると、頭の中で筆算をしているのがよくわかりました。「暗算」が出来ないのです。確かにこちらが「三角形の面積はどう求めるの?」と尋ねれば「底辺×高さ÷2」と答えます。御名答です。では、「どれが底辺なのかな?」とさらに問うと「手元にある辺」を指します。「ドリル学習」では、単純に「手順を身につけさせる」ために、同じ形の問題を連続で行います。・・・同じ手順を繰り返させる・・・だから「ドリル」なんです。故に「どこが底辺なのか?」の「判断」はいりません。「底辺」は「手元側(下側)」なのです。しかし、一歩進めれば、頂点からある辺に垂線が下りている・・・それが「高さ」でありその垂線が交わる辺こそ「底辺」と分かります。・・・・そこまで「理解ができていない」または「底辺とは下にある」と思い込んでいる場合困った問題が起こります。学習には「理解する」もありますが「判断する」という重要な要素もあります。
成績の振るわない生徒で、かなり長時間勉強している生徒の中には「判断」する訓練が欠けていることがあります。
四則計算(加減乗除)や分数・小数などは、単純なことと思われますが、中1のはじめ「正負の数」では、それらの理解・定着度が問われます。この次元では、100問中100問正解する必要があります。「大げさな」「いいえ」・・・これら基礎計算ともいえる部分は「時々間違う」とか「時々合う」では、誠に困るのです。
入試を考えてください。多くの生徒は「難問」を如何に解くか?に気を取られます。しかし、それは「1番」「2番」の計算が全問正解の場合のこと。また、各大問のはじめの部分・・・が「正しくできていて」初めて取り組めることなんです。「難問は解けたが、計算で失点した」では、「そこまで」なんです。
小学生の塾通い・・・早いんじゃないの?中学内容の先取りなら、そうですね。でも「基礎の本当の意味での完成」「判断して使いこなす」「毎日勉強する姿勢を身につける」「分からないことを調べる癖をつける」なら、絶対お越しいただきたいと思います。
善き習慣は、早期に作るべし・・・これが「鐵は熱いうちに打て」という言葉の意味ではないでしょうか?