鍵山秀三郎(日本を美しくする会相談役) 「致知」メルマガより
少し当時のことをご紹介しますと、その会社はいろんなことをやっておりまして、 例えば米軍の払い下げ物資を落札してトラックで引き取ってくるという仕事もございました。 私は田舎の高校出身で、多少文章が読める程度の英語力しかありませんでしたが、 社長から指示された入札の基準に従って商品を落札し、税関に税金を払って引き取りに行きました。 私の親のような年齢の人夫さんたちをたくさん乗せて、トラック数台を連ねて引き取りに行くのですが、朝の9時から11時半までの間に積み終えなければ、閉め出されてしまうので、とにかく時間内に終えるために必死でした。 土砂降りの雨の中では荷台はツルツル滑り、二度ほどドラム缶ごと下に落ちたことがあります。 もしドラム缶の下敷きになっていたら、きょうこうして皆さんの前には立っていなかったでしょう。 2メートル以上あるような大きなタイヤを倉庫からトラックまで転がして 運ばなければならないこともありました。 足元が悪く、途中で倒したらとても起こせないので、神経を磨り減らすような思いで運びました。 トラックまで運び終えたところで倒してしまったことも一度ありましたが、 この時も運よく下敷きにならずに済みました。 他にも過酷な仕事をたくさん命じられ、毎日が本当に命懸けでした。 けれどもそのおかげで、能なしで意気地がなく、何もできなかった人間が、 僅か8年の間にいろんなことを身につけられたのです。 もし楽な会社に入っていたなら、とてもそういう力を身につけることはできなかったでしょう。
自分の能力を遙かに超えることを要求されるような環境に身を置いたおかげで、 私は大きな成長を遂げることができたのです。 自分の成長を求めるなら、楽な道を選んではダメです。 より困難で厳しい道を自ら選ぶことが大事です。 他者から困難を強いられたことも多くありましたが、 私は自ら困難な道を選んだことも何度かあります。