なんで、「優等生」が叱られるんだ?そうですね。力を出し切らないからです。
礼儀正しく、きちんとした躾を受けた良家のお子さんです。しかし、小学校の頃から通っていただき、中1としてこの1年見てきましたが、中1当初の意気込みは消えて
「上位層にいるから、いいだろう」という安心感・安堵感が見えていました。
家庭学習時間も決して長くはありません。自主的にしていないわけではないのですが
決して多くはない・・・昨日話した感じでは「少ない」と感じました。
ことは「期末テストの目標点数」から始まりました。「何点にしたんだい?」「〇〇〇点です」「それは、二学期の期末テストと比べてどうなんだい?」「・・・・・・・・・」「どうなんだい?」
「・・・・・・・」「2学期の期末テストの点数を言ってごらん」「☐☐☐点です」「おや、今回の目標の方が低いじゃないか?これはどういうことだい?」そこから、私のお叱りが始まりました。
1.前回より目標を低くして、初めから大した努力なく達成できる目標にするとは何事か?
2.人間の能力は、「使わないと分からない」ものである。そんな「楽な目標」は「能力を高めない」からダメである。
3.あなたは「とても恵まれている」。それをあなたは感じていない。今この世界でこれほど満たされた人は何人いるか?毎日上の為数百万人が死ぬ、1日3食食べられる国は10数か国しかない。その中に生を受けて「自分の与えられた能力を発揮しようとしない」のは良くないことではないか?もしかすれば、大した才能はないかもしれない。しかし、自分が何者か知らないまま年を重ねるよりはいいはずだ。もし、あなたに能力が他の人より与えられているとすれば、その力で「自分」と「もう一人」くらいは幸せにできるかもしれないでしょう。もしかするともっと多くの人を幸せにできるかもしれない。この恵まれた環境に「生」をうけた意味を考えてほしい。
4.勉強というものを「あなた個人の裕福な生活の為」にするという小さな世界でものを考えていたのかもしれない。けれど、本当は「もっと広い世界の中で考えるべきこと」なんだ。
ほとばしる様に言葉がでました。こわかったでしょうね。私がこの生徒にこんなに真剣に話したことは無かったですから。生徒は立腹したかもしれません。屈辱を感じたかもしれません。
でも、私には「ぬるま湯」につかる・・・状態のまま2年生にしたくなかったのです。こんな話はしない方が、「あはははは」のおもしろい塾長と優等生の付き合いでしたでしょう。しかし、この生徒の能力は引き出せたかどうか?
かなり怪しいと思います。怒って辞めるかもしれません。顔も見たくない・・なんて言われるかもしれません。しかし、誇張は多少あるかもしれませんが「こんな豊かな素晴らしい環境に生まれる命」と「飢えで脳さえ委縮して、思考できず自分のまわりの草をちぎって口に入れるしかない命」に何の差があるんでしょうか?「恵まれた環境に生まれた者」には何か為すべきことがあるのではないでしょうか?これはあくまで私の考えです。この記事を読まれて独善に気分を害されたらごめんなさい。