私は、自然が好きで森や山の中にいると安らぎます。他の人には不快なのかもしれませんが、
落ち葉の腐った(腐葉土)の湿ったようなにおい、朝もやの冷たさ・・・なんだかワクワクしてくるんです。今も「山」の近くに住んでいますが、深夜帰宅すると、山の方から谷を伝って
靄が降りて来る・・・ほほほ~っておもいます。今は冬枯れの野山も「やまの3がつ、そよ風邪吹いて・・・どこかで春が生まれてる」になります。春というと「大岡真」さんの随筆でかかれている・・・染色家の志村ふくみさんを訪ねた際、「この桜色は桜の花びらから煮だしたものですか?」との問いに「いいえ、櫻の枝、幹から煮だしたものです」とお答えになる場面が忘れられません。
櫻は、全身が櫻色になってその先端の花にまで至って「桜色の花が咲く」こと・・・・なんともゆかしいことではないかと思うんです。教育の世界の端っこに位置する身として、「人の成長」「お子様の成長」を見る時、こういう見方をしないといけないと思うのです。いきなり「桜色の花が咲く」のではなく、根から幹、幹から大枝、大枝から小枝、小枝からその先端まで、「桜色」に染まって初めて「ああ、美しい」という花が咲くという自然の法則というか約束というかを忘れてはいけないと思うのです。
今は「自動販売機」の時代です。130円入れたら「ガチャン」とジュースが出てこないと「壊れている」と叫ぶ時代です。待てない。自分のやったことがすぐ結果に表れないと気が済まない、なんと短気な、刹那邸な時なのでしょうか。子供たちに「植物を育てさせる」「生き物を飼育させる」ことが、ドリル学習をするよりなんぼか学ぶことが多いんじゃないか?小さな生き物の死をしらない子供は、大きな生き物を死に至らしめるんじゃないか・・・・。勉強というものを小さく小さく考えてしまっている自分に気が付きます。