立て板に水・・・という言葉がありますが、「あまりいい意味ではない」ですよね。かなり胡散臭い。
でも、学校でも塾でもお子様は「先生の声」をBGMのように聴き流していませんか?「授業は参加するもの」です。自主的に「身を乗り出して」すべての発問を自分に向けられたものとして、考え、答えを出す。それをノートに取り、自身の答えも書く。正答例も書く‥…こんな風だと授業中に「ぼやあ~」とする時間なんて全くありませんよね。頭がフル回転です。
「教育目標分類学」によりますと、多くのお子様の勉強は、A1~3の事象に留まりC(思考)にカテゴライズられる「創造的思考」へは、ほとんど進んでいないことになります。
「社会科」について保護者様から「憶えたら終いですよね♡」って聞かれますが、それはA1~3(知識・理解)のカテゴリーだけを指してのことです。今はそれでは対応できなくなっています
知識が不要になったのではありません。必要量は増えています。知識➡知能へと移行しつつあります。
C3のカテゴリー(変換操作・全体関係+批判・創造)ともなればこんな風になるそうです。
もしあなたがザビエルのように知らない土地に行ってその土地の人たちに、なにかを広めようとする
場合、どのようなことをしますか?600字以内で答えなさい。
一度育った「思考力」は、容易くは後退しません。
お子様が、だだ「教科書の太字」を暗記しようとされていたら、これは止められた方がいいのではないですか?。
この人が、どの時代の、何をしたか、誰と関係があるか・・・・という繋がりを持たない、関係性のない知識は、すぐに忘れます。また、インターネットで十分です。
ノートは、左端からとるもの・・・・こういう固定観念が結構、学習を阻害しています。