最近、格差・・って言われますよね。貧乏にそだった私には「当たり前」のように感じられます。一億総中流・・って言われた時でも「うちもそうだ」という実感がありませんでした。
実際は、小学校の後半には家計は改善していましたので世間様に合わせることはできたんでしょうが、父母は文字通り「質素倹約」を旨をしていました(といううか習慣化した)んでしょうね・・若い私は不満を持っていました。だから、早く大人になって家を出て、自立したい・・そういう思いは小学生からありました。
大学入学を機に「家を出ました」が、世は「大学は遊ぶところ」という風潮が蔓延している頃です。一部にはせっせと研究に、勉学にいそしむ学生もいましたが、どうも「遊んでる」人が目につきました。
このころに「大学に通われた」方・・お父さまお母さま世代は、十分に大学の価値が理解されているのかな?どうだろうか?その価値が理解されているとすればお子さんを大学へ行かせる!!と間髪入れず思われるのではと私は、思うのです。
行ってもいかなくてもあまり益はなかったな・・・と思われていると「必死さ」は出てきませんよね。
私のとっては、大学の授業はほとんど役に立っていません。しかし、大学での時間・・・有り余るくらいありましたのでそこでできたこと、師匠と言える教授と会えたこと、人のしない「アルバイト・・就労体験」をたくさん積めたことは、私にとって大学に行った大きな価値なのです。
高校までの勉強は「人様が決めた時間割」に従った勉強で誠に受け身です。
大学に行くというひとは「能動的」にチェンジしないともったいないですよね。