へそ曲がりな私は「常識的と言われるような大人」の言う俗っぽい言葉にいちいち突っかかるような、いや~な子供でした(ははは、今はいや~なおじさんの可能施あり)。タイトルの「人間は一生勉強だ!」もよく聞きますね。そうだろうとへそ曲がりの私でさえも思います。
しかし、(おやおや、つむじ曲がりへそ曲がりが出てきたぞ!)一生「同じことがら」を勉強するのでしょうか?幼稚園の砂場で学ぶこと、小学校で学ぶこと、中学で学ぶこと、高校で学ぶこと、大学で学ぶこと、社会に出て20代で学ぶこと、30代で学ぶこと、40代で学ぶこと、・・・・・内容が違うのではないでしょうか?
学生の内・・特に「高校受験」は、一生を左右する重大勉強期間だと思うんです。同じ入試でも「中学入試」は、はっきり申して「お母さまの入試」です。どこまでお子様に手をかけることができるかで差が出ます。大学入試は、「高校入試で勝ち取った経験・・・合否ではない」をもとに行えるものと私は考えます。
高校入試は、お子様が「保護者さま」の手を実質的に離れて(反抗期ですから言っても聞きませんが・・・・)自分で立ち向かう「入試」「受験」です。この期間に「どれだけ充実した勉強ができるか?」「その実感がお子様自身にあるか?」は人生を左右すると私は思い、今まで指導してきました。
人間には「しゃにむに勉強する・するべき時期」があるのではないでしょうか?決して高校の偏差値レベルの問題ではないのです。志望高校に向けて全力を出し切る。自分の今までの壁との戦いですから。そしてそれを逃すと「人間いつでもやり直せる」なんていう俗諺は通じない気がするのです。