知識教育を倦厭してきた昨今、逆に著しい「知識欠如」が起こっているように思えてならないのは私だけでしょうか?確かにAIが進歩しておおよその単純な(というかほとんどの)仕事をするようになるのは確実です。
残るのはAIを導入して元が取れないような収益の少ない仕事でしょうか?
その反対に、「判断」「決断」という非直線的な思考のもとに行うことは人間の手元に残ってほしいものです。しかし、「思考する」には、高度な知識が必要です。「総合学習の時間」が、誠に陳腐な時間になり果てたことはご存知の方も多いと思います。「調べ学習」などというのですが、生徒が「ネット」を使って「ウイキペディア」の内容をコピペしている・・・・まあ、これは大学生も多いですけれど(笑)・・・では「調べた」ことにはなりません。写すもしていない「作業」です。また、一部の学校(試験校)では、アクティブラーニングをして崩壊しています。話し合って、発表して終わりでは「正答」がわからないという不満をもつ生徒が多いのです。これらの学習方法は極めて高度です。多くの知識と、複数の調べ方、検討の仕方を持っていてこそできるわけですから。
そして、グループの全員の学習へのモティベーションが高いことも前提ですね。ほんの数人・・ひどければ1人だけがフル回転では意味を成しません。
知識教育を倦厭してきたこのしばらくの時間・・・ツケは日本経済が払わなくてはならないでしょう。少子高齢化、史上初の人口の減少・・・労働人口の激減という日本の問題に加えて、2040年には今より気温が4度上昇するという試算は、ピンチです。農業地図(作物栽培地域)が塗り替わる、亜熱帯・熱帯の病気の上陸など問題は山積です。
人間(力)を資源とする「日本」は、迷走していていいのでしょうか?