私は「しつこい」性格で、なかなか生徒様を見切れません。人間のお付き合いは「腹8分目」でも多すぎて「腹6分目」くらいであろうと思うのですが、お子様に対しては本当に「べったり」としてしまいます。いけませんね。
若いころは「熱血」が評価されたこともありました。しかし、どうだろうか、それが本当にお子様のためになるのか・・・と思うんです。これってだれの「入試」なのか?
先日、ある高校の高3生が申しておりました。「特別推薦で入った先輩が、中退したり、留年したり、登校しなくなったりで指定校の数が来年から減らされるんだって!!」・・・・そりゃそうだろうよ、と思うんです。「こうすれば、こうなるよ」と「攻略本」のような勉強しかさせないで「最高学府の大学」に放り込んだらそりゃ、お子様は「迷子」になります。自分で学ぶ、道を見失ったら、捜す、助けてくれる人を求める・・・それはもう、生きる力です。当たり前です。大学で「時間割通り」に勉強するだけなら何も面白くないし、何も身につかないな!と私自身の経験からも思います。「時間割」は最低基準・単位取得もそうです。「自分で学ぶ」者だけに見返りのある環境です。
エース進学セミは構成からいうと「高校受験」部門が最も多いのですが、上記の話は大学入試の限ったことではなく「高校受験」でも同じことです。保護者様から「ぎゃんぎゃん」言われて、しぶしぶ机に向かい、とにかく「課題だけこなす」・・・それでなんとか「勉強した」と誤解している。それで「運よく・・・本当に運よく合格してもそのあとは苦難の高校生活が待っています」・・・・なぜなら本来受験勉強中に身につけるべき「自分の工夫が無い」「自分のためしがない」・・・借り物、そんなものはメッキです。すぐにはがれます。
放っておけないのでお子様を心底から「叱る」時もあります。しかし、「叱られたら終わりやろう」というおかしな学習をご家庭でしてしまっているお子様もあります。「改める」ことを求めているのであり「叱られる時間が過ぎるのを待つ」のではないのですが・・・。
怒られて一切合切済むのならいいのですが、♫人生の海の嵐に揉まれきしこの身に・・・になって初めて「さめざめと泣いて気づく」のでは遅いのでは、とひやひやします。