昨日も結局、11時まで補習をしました。お母さまには申し訳なく車の中で静かにお休みいただきました。じゃあ、居残りした子が嫌がっていたか?いいえ。顔がきらきらしているんです。嬉しそうなんです。勉強が分かって来た・・・・まだそこまでではないかもしれないけれど「分かるように感じられるように思う」といっています。
きっと家でも「宿題」に膨大な時間をかけているんだと思いますが、でも「楽しそう」なんです。
苦しいはずなんですが「今までがもっと、辛かったんでしょう」ね。「わからない」ということは、
悲しいし、苦しいし、寂しいものです。ここではそんなことはいいんです。「分からない」いいじゃないかと思います。勉強すれば、分からないところがまた出てきます。