えらそうなことを言うけれど、自分が中学生の時はよくわかっていなかった。過ぎ去ってみてから「重要だったんだ」と気づき、自分が進んだ道がまちぃがっていなかったことに気づき、その僥倖に感謝している。
人間の資質には差があるが、それをどうやって図るか?明確な物差しはない。
今まではペーパーテストの点数や学歴で測ってきた。しかし、今や高学歴ワーキングプアがいて、中卒高所得者がいるという従来の考えでは解けない状態になりつつある。だからと言って「勉強しなくていい」などというのは軽率であろう。小学校や中学校の学習内容がわからなくていいわけがない。これは生きていく基本的知識だからだ。そして頭脳の訓練でもある。しかし、今頭に詰めこんだ知識は数十年の内には手のひらを返すように変わるだろう。学ぶことは、永遠になくならない。それも机に向かって学ぶとは限らない。雑踏の中で、店頭で、ビルの屋上で学ぶのかもしれない。
今までの70年ほどは、みんな仲良く、わけっこして・・・って来た。その中でずるい人も出てきた。
払わないけど、受益したい・・そんなの自然に反していると思う。与えてこそ与えられる。
みんなは「世の中の人に何を与える人になる」のだろうか?
それを探すために「受験がある」と私は思っている。
そのためにはこの夏休み、1日10時間は机に向かってもおかしくはないだろう。
自分の中にある「深い海」を探すには、そういう作業が必要なんだ。