むかし「こんな発言がありました」ね。コンピュータ京は、世界で一番でなければならないのは、防衛上の絶対必要なんですね。2番手のコンピュータは、あらゆる思考・打つ手打つ手を、一番手に先に読まれてしまうのですから「存在価値がない」のです。
しかし、人間はそうなんでしょうか?
公教育では、人間は平等に資質を与えられている(備えている)と言う前提で行われます。しかし、皆さんお分かりのように「資質に差がある」のは、悲しいけれど事実です。100メートル短距離を私がいくら訓練と自制をしても、オリンピックに出場するどころか、市民運動会で1位を取ることもまず無理です。
(短距離で1位になったことはない!!)しかし、長距離は結構いけるんです。1600いやいや。
10キロとかハーフマラソンとかだと、結構いい順位になります。ははは、当然ですが優勝はしませんよ。しかし上位100うん十番とか10~15%には入る・・・・ヘロヘロですけれどね。
勉強もこれではいけませんか?中学で1番にならないと認めませんか?高校で1番でないと認めませんか?大学主席できないといけませんか?
たいがいの組織では「上位3割」以内で生きてゆけませんか?(次官とかになろうとすればこれではいけませんが・・・・・)「勉強の仕方が悪い」とそのせいにすることが多くなります。本当は、十分な時間を取っていない、繰り返していない、勉強の道具も持ち帰っていない・・・それを「仕方が悪い」ではう~んどうでしょうか?多少効率が悪くても「たゆまぬ努力」「継続する」ことでそれなりの成果を出すことはできませんでしょうか?
エースはそういう「お百姓さんの心」と呼んでいますが「継続する心」「忍耐心」の養成に心を砕いています。