おかしな話に聞こえると思いますが、エース進学ゼミでは、私を含め教員には、授業中「説明を極力減らせ」と指示しています。
教師というものはとかく話がちです。説明したら「わかる」という変な迷信を持っています。「話す」「説明する」は、あくまで学習を進める1つの手段です。「発問」もそうですね。漫才師や落語家は、「話すこと」で観客を一種の自己催眠の状態(話し手の世界)に引き込んで「ありありと情景が浮かぶ」ようにしますし、「笑え」と「笑いどころ」がわかるようにします。一部のバラエティ番組などは、番組音声にかぶせて「笑い声」を入れていますよね。自然と笑える・・・。えへへ、一時期「弟子入り」するか?って思いましたのでかなり研究しました。
でも勉強はちょっと違う気がするんです。漫才や落語は、その世界に陶酔して楽しむもの。楽しませるもの。しかし、勉強は「先生の声に陶酔して、今日の授業が終わった」では何もなりません。だから、授業では「全部を教えてはいけない」「自分で考え調べる余地を残せ」と指示しています。
生徒が困っていたら、先回りして教えてもいけないのです。ここに個別指導の指導者の難しさがあります。一斉授業中、先生が教室をグルグル歩きますよね。なんででしょうか?ハイキングではありません。
言葉もいりません。「トン」とその生徒に「必要な場所」を示すだけです。それでほとんどの生徒は、前に進めます。