大人は過ぎた昔を「苦い」思いで顧みることができます。ゆえに「ああすればよかった」と知恵も働きますが、そこから発する言葉は、お子様にはなかなか受け入れてもらえません。「なんで、僕だけ・・・」「なんで私だけ・・・」楚歌の友達は土曜も日曜も、平日の夕方も遊んでるやないか!イオンへ行っているやないか?友達と勉強するのもあかんのか?
みんなってだれか「紙に書き出してみたらよろしい」でしょう。1000人に8人同じものを持っているとみんな持っているって人間は認識するそうです。未だ中1坊主が、「人生はそれぞれ違うのだ」がわからない・・・坊主と言ったところに意味があるんですよ、この時期、男の子は「おぼこい」!女の子よりはるかに精神年齢は低いと思います。・・・だから「これからのあなたの取り組みで、人生のありようが変わっていくのだ」なんて?????かもしれません。そこもお母さま(女性ですから)との大きなギャップになるやもしれません。
しかし、中2・中3ともなれば「広く世界を見て」ちょっとばかし、自分の将来がこの瀬田地域に閉じこもって終わるはずがないことは理解してほしいものです。瀬田地域で1番2番と言っても滋賀県ならどうなの?近畿では?関西では?日本では?世界では?
少なくとも「平均ならええやろう」なんて認識は、今後の人口減少期にはありえないことだとお話ししてあげていただけませんか?エース進学ゼミでは、「なんで今スーパーが出店競争するのか」「マンションが建つのか」・・30年後の人口8000万人台の日本のことを含め話すことがあります。
私が学生のころでは、こんな話は「大学」の私淑した先生からしか伺えなかったのです。早くに知っておけば己の学問への姿勢も変わっていたろうと臍をかんだものでした。意見や見解の強要ではありません。
考えてほしいのです。学習の動機は、「向上心」と「危機感」ではありませんか