「外山滋比古」先生の「思考の技術」に出てきますが、「何でも学校で学ぶんじゃない!」と学校依存を指摘されています。同じことが「塾」にも言えます。私たちは商売としては依存していただくことは有難いのですが、教育という観点からは「一定の距離が必要」と考えています。算数は答えが出るから好きだ・・よく聞きます。本当は出ない物が圧倒的に多く出る方が特異であり、人為的に選ばれ組み立てられた・・・知恵の輪みたいなもんです・・それが解けるだけですよね。私は元来答えの簡単に出る数学は極めて苦手で、答えが出ないかも?という数学に触れて俄然楽しくなりました。「外山先生」のおっしゃるように学校でも塾でも、教師は基本、秀才です。秀才だから教師になれたのです。学校・塾という環境に最も適合したと言えるでしょう。そして、自分と似た生徒を自然好みます。えこひいきはいけない・・といっても「人間生身です」もの、完全には解放されません。学校や塾では「学校秀才君」は認められやすいのでしょうね。私は、教師から認められない・・・「反抗的」生徒として扱われていました。でも、自分でもなんでそう扱われるか?わからなかったんです。
「先生、これではだめなんですか」「その答えはおかしくないですか」・・・食って掛かるんですね。大真面目であり、これは学問上の議論だから大丈夫と信じていました。小学・中学・高校では「生きにくいなあ」とは思いました。社会不適合かとも思いました。しかし、大学に行って「そのスタイル」は認められました。
フリーダム!ザ・フォース・・・スターウォーズになりました(笑)研究職に残るかというお話も頂きましたが組織の息苦しさに嫌気がさしていた私は、荒野を選びました。