私の祖母は生きておりましたらエライ高齢でしょう。明治の女であり、武士の娘でした。孫の中で最もかわいがられたのは重々分かっていますが、いまから思えばその教育自体はエライ時代錯誤でしたな。
いつも思い起こすのは小学校に上がるほんの少し前に広間の隅に呼ばれました。
これからあんたも「責任を負わんといかん時が来る。作法を教える。」・・有難いですな、「お腹を召す」作法です。まあ、古式にのっとっておりまして。
今、大河や時代劇を見ますと「あれ?」・・・ありゃ、これじゃ胸切りやろうなんて思います。父がいない時は私が箸をとらないと皆が食事できません。「まずいなあ、いややなあ」などと言おうものなら「平手」だったか「鉄拳」か忘れましたが飛んできます。同時代の他の家で同じことがあったか・・・・ありませんでしたよ。サザエさんのちゃぶ台に憧れました・・・なんせ「箱膳」ですから。板の間に正座。
ずい分とやんちゃをしてきましたが、何とか生きて来れた原点は「祖母のしつけ」だと思います。