私自身が塾を始めたころ(・・・応仁の乱の頃ですかね?)は、「何でもかんでも嚙み砕いて分かりやすく、塾へ来たら参考書も辞書のいらない様に至れり尽くすことが生徒の為になる、保護者さまを喜ばせることになる」と浅はかにも思いました。
その年の中3の入試実績は散々なものでした。
「なんでや~!!」・・・・・考えてみれば単純なこと。「分かりやすく」は、お子様の依存心を高め、「考える力を削ぎ」、「噛み砕く」は、「語彙力を下げ」「推理力を下げ」・・頭を使わなくてもいい状態にしていただけです。
先生の言うことがよくわからへんわ!・・・よっぽど授業が下手か?と思いきや「語彙が豊富」で、「お話が面白い」だけど、お子様がそれ(そのレベル)についてゆけていない・・・だから、分からへん・・悲しいですね。
「分かりやすいわ」・・という言葉は、一面では、「楽やわ」であり、「一番めんどくさい頭を使うことをしなくていい」ということでした。何もそれでは生徒たちに、保護者様に貢献していない・・・惨憺たる結果に直面して初めて気づきました。
安易に考えた「分かりやすい」授業が、伸びようとする生徒の逆に障害となっていたのは大変ショックでした。
だから、「授業を分かりやすくできる」能力は必須なのですが、だからと言って「それを発揮するべきか」というと押さえない時が多いのです。もう自分の足で立てる子供をおんぶしてやるとか、歯が生えて噛まないといけない時期に、にもかかわらず「噛み噛み」して柔らかくしてやるとか・・子供たちの「思考の訓練」を阻害することを恐れます。