百田尚樹氏の「百田百言」にあります。私もそう思います。また、自分の生まれつきを最大限に発揮して生きていくという趣旨の言葉もあります。私も同様に思います。
それしかない・・諦観かもしれません。私はぶおとこです(笑)から、若年の頃、容姿について大変悩みました。また1週間続けて登校できない「体の弱さ」にも不安を覚えていました。励ますつもりなんでしょうけれどそれを「揶揄」するがごとく言う父の言葉に激しい劣等感を持ちました。人様を羨んだものです。しかし「無いものは無い」のです。人さまと自分は違う。憧れたら出て来るか、出てこない・・・なら、何があるか????病弱な体も「だましだまし」使えばなんとかなるだろう、人よりおそ~い理解も繰り返せばなんとかなるかもしれない、努力という世界はこれから開発できる世界のはず・・・選択できるオプションが少なかったからかもしれませんね。あまり迷わずスタンスを決めることができました。ボチボチやっています。
僕はあほやから・・・なんでや!14とか15歳で言うか!!大して能力開発に力もいれんで言うな・・いつも思います。もし、本当にそうでもそういう自分の「使いようはあるでしょう」し「使い方を探すべき」ですよね。自分を本当に使いこなせている人は世にどのくらいいるのでしょうか?