「知識偏重教育の権化」みたいに某大学の教員養成学部は教えていると、親戚の子が教えてくれました。「塾の詰込み教育が・・・・」だそうです。
しかし、その大学の入るために「塾」や「予備校」のお世話にならなかった人がいるのか?また、そう教える教授様のご子女様は「塾なるもの」には一切通っておられないんだろうなあと思いますが実際はどうなんでしょうか?
私は「塾を必要悪」のようには私は考えていません。もっと、肯定的です。学校外教育、学習なくして今の日本は成り立たないのではないかと私は愚考します。
お子様の頭は柔軟です。もっと、「知識を習得させる」ことは容易です。可哀想・・・と言うのは大人の考えで「あそび」としてお子様方はやれるのです。大人の考えと言うのは「勉強は辛いもの」という悪しき経験の延長から考えているから出てくるのです。
今のお子様が「十分な知識量をもっている」と皆様はお感じになりますか?「えっ?これ知らないの?」ってなりませんか?ですから、もっと「知識教育」は必要です。
問題なのは「習得した知識」が、教科を横断して有機的に結びついていないことの方だと思います。バラバラなんですね。だから、知識が「教養」に高まっていかない。
せっかく「詩歌の学習」をしても「生物の分類」を学んでも、「環境が生き物に及ぼす影響」を学んでも・・・
カエルから、「俳句」を想起したり、「両生類」「肺呼吸」「おたまじゃくし・・・・う~ん、これって『お多賀じゃくし』が元だったよねとか」、「農薬はカエルの生態に影響は与えないのだろうか?」とか「カエルの歌」を歌うとかどんどんつながってほしいのですが・・・・実際はどうでしょうか?
教育は「人生を物心両面から豊かにしないといけない」と思います。「知識教育」はもっと行い、横断的に結びつくようにしてゆけば、「教養」に向上的に変容しているのではと思うのですが。