小学生・中学生の子供たちは「アホ」ではありませんので、「大人の歯の浮くような褒め言葉」はウソだってすぐにわかります。「なんでこの人はこんなことで褒めるんか?」・・軽侮の目で見てきます。
いい加減な宿題、甘い復習・・・こんなものはエースでは叱責の対象です。分からないのは構いませんが、わかろうと自分なりに「あえいでいるんか」を問います。
そうでなければ、「どんなにわかりやすい説明も頭に入りません」し「聞いて忘れる」だけです。
叱責するというと「怒る」・・すぐ連想されますよね。まあ、教育書では「叱る」と「怒る」は違うとたびたび述べられています・・・・・が、私にはよくわからないのです。
諭す・・わかります。
注意する・・わかります。
「叱る」・・感情を交えないで叱る、う~・・・・上記とどう違うのか?
「叱る時は、人格を否定しないで、行動を叱れ」・・・・それは当然です。
「怒る」って本当にダメなんでしょうか?
この子をこのままにしておいてはいけないという思い・・・・これが「怒る」ではないでしょうか?
人間は「情を込めない言葉」に動かされることがあるんでしょうか?
そんな単純なもんでしょうか?「怒る」なんてしんどいです。恐ろしくエネルギーが必要です。私どもでも「もうええわ・・・」と放っておいた方が超~楽です。時代は「指導はパワハラではないか」・・・と過敏になり、「仕事の能率が悪い人でも長時間労働が問題になる」時代では、もはや「叱る・・・指導する人」はいなくなるでしょう。叱る方が「リスク」をあまりにも抱えざるを得ないからです。そしてますます「叱られる」事への耐性はなくなります。行きつく先は、にっこり笑って馘首!なんでしょうか。(オソロシイ、サビシイ、ムミカンソウ)
私たちは「叱る」「怒る」を恐れません。
その中に「どうすればいいのか」を必ず入れます。怒られている生徒が「次はどうすればいいのか、どう改めればいいのか?」必ず入れます。
そして、それを「実行している」のを見て「褒めます」。
口で「は~い、わかりました。」なんて簡単に言う生徒は信用できません。
実行しないからです。
顔が紅潮して、にらみつけて来る、・・・反骨精神バンザイ\(^o^)/・・・・そういう子が行為を改めて来たら
必ず「褒める」んです。
「褒めること」の安売りは、大人への軽侮と自己を卑下する心を生むだけです。