私たちエース進学は「進学塾」ですから、その立場でものを考えます。ですから、割り引いてお読みください。
大卒と高卒・・・社会に出たらかわらない・・これは本当でしょうか?私は思うに職場も違っています。そこで「大卒同士」が争い、偏差値の髙い大学出身者に低い大学出身者が打ち勝って、上位(上長)に立つ・・こういう逆転劇を指してのことでしょう。・・・「大卒」と「高卒」は雇用の段階から異なるケースがほとんどですから、「大卒と高卒」の逆転劇を指しているとは稀有な例を除いて思わないのです。私たちが中学生の頃は中学のクラスの4分の1以下しか大学へ進学しなかったと思います。現在では半分が大卒です。進学校とよばれる学校の生徒の保護者は大卒の比率が高いのです。だから、保護者は、社会での「大卒のメリット」を知っているので、子供にもその「メリット」を持てるようにしたいと早くから考えて、行動しています。
逆に申しますと、「大学での生活を知らない保護者様」は、大学での勉強が「高校までのような教室での勉強」が今後4年も続くものと考えたとしても、無理からぬと思うのです。そしてそんなものには意味はないと考えても不思議ではないと思います。「大卒」の保護者様は、実は大学は「授業を受ける」所ではないことはよくよくご存じだと思います。求める者には大きく返ってきますが、求めないと何もありません。また、人間関係の構築や社会を知るというサブ的ではあるが重要な部分もあります。私自身が「モラトリアム」と言われた世代ですが、高校までとは全く違う状態に初めは戸惑いました。正直にいうと「学問を究めた」と言うより「世間を知った」というのが私の大学生活なんですが・・・・。
保護者の収入と学力格差が比例するとよく言われますが「価値観の違い」も大きいのではないかと私は考えています。大学進学のメリットを知らないのならば、経済的に厳しくなくとも「学資保険の加入」などの学費の確保や節約は行われないことになります。そうするとお子様には学力以前に「進学」は選択肢から消えることになります。
私は以前から「日本は固定した階層の無い、循環のよい社会だった。70年前までいた華族様は今どこに?だし、名家なんてほんの一握り・・・それが良かった。そして、そんな身分でも『基本のしつけ』はなされてきた。経済的に厳しいから躾けをなおざりにするなどということはなかった」ことを誇りにしてきました。しかし、だんだんと「躾のできる家庭」と「そうでない家庭」に分断されようとしているように見えて大変危惧してきました。社会が2層化する・・・大変恐れています。今ここに「大卒」と「非大卒」という分類を入れてみると、それぞれが全く違う文化の中で生きている可能性を感じ、また危機感を高めます。
大卒は大卒と家庭を持つ、高卒は高卒と家庭を持つ・・・・何を意味するかというと「学歴の再生産」がなされるということです。全員が大学に入学することはできないことです。今後、日本の人口がますます減少すれば、淘汰される大学が続々と出ます。ゆえに、「大学入学枠が広くなる」ことはないのではないかと思います。また、経済的な負担も今後はもっと大きくなるでしょう。そうだとすれば「高卒」の学力レベルをもっと上げることを考えるべきではないかと思います。