私は本来の意味とは異なりますが、生徒が勉強で悔しくて泣くことを「泣きが入る」と呼んでいます。これは「刀の火入れ」のようなもので、生鐵だったものが「鋼」に変わることを言います。私は「鍛錬」という言葉が好きです。
そして漢字もあえて「金へん」を使います。通常は「糸へん」でしょう。糸へんの「練」は糸を撚り上げることを意味します。「金へん」の「錬」は、金床で叩き、打ち、延ばし、折り曲げ、さらに叩く・・・火花の散るような様子です。
昨日、ある生徒が「悔しくて涙をぽろっとこぼしました」・・・塾でなんで生徒が泣くことがあるんや!とかつて言ったお母さまがありました。その言葉が私には不思議でなりませんでした。エースは体罰なんてしません。暴言も威嚇もありません。今回涙した生徒は、ただ自分ができないことを「悔しくて泣いた」それだけです。真面目に「勉学に向かう」所なら私は何処でも起こると思います。そのお母さまは真摯に教師も生徒も勉学に向かう塾をご存じなかったんでしょう。こういうことはスポーツでは「感動をもって受け入れられる」のになぜ「勉強で存在する」ことを皆がそうそう認めないのでしょうか?
この生徒は「まじめ」な「勤勉な」生徒です。そして、あと一歩、乗り越える課題があることも見えます。だからこそ涙したのです。そしてこの生徒は「強くなった」と思います。どうでもよければ泣きはしません。「ありたい姿に中々たどり着かない」から「悔しい思い」をしたのです。
今まで、こういう生徒が数年後大きく羽ばたいていくのをたくさん見てきました。大きな壁を越えて大学・社会人へと成長していくのも見ました。
私は「泣きが入る」のはその子の才能の表れだと思います。