塾生の中には、この世で恐いものの中に「私」をあげる者が多いらしい。
兄弟同士の会話で「〇〇先生がコワイ」と言うと「タカギ塾長の方が何倍もこわい」と言うらしい。これは喜んでいいのか?いけないのか?昔(と言っても私の子供のころだから、大したことはないと思うのだが)確かに大人はコワかった。道理に合わないことを行えば「必ず叱責されたし、ビンタやケツバットを食らった」と思う。・・・我が家には「叔父伝来の海軍精神注入棒(実物)」があって何度泣かされたかわからない。若い皆さんは「それなんなん?」でしょうねえ。「叱る」のは「言葉と行動」であり「性格・人格・人間性」ではない。それでは「人間否定」になる。
あんたらはアカンやつや・・・こんな一方的な決め方をされたら、大人でも謀反を起こしたくなる。いわんや、小中学生では。エースでは、「宿題を誠実にやってくるのは教師と生徒との約束」となっている。また、「ほかの生徒の失敗やできないことをあざ笑うことは許さない」としている。これらの場合、天地が壊れるほど「怒る」。
また、退塾処分も辞さない・・・前者は「クラスを腐らす」し、後者は「人としてなしてはならない行為だから」である。これをもとに「コワイ塾だ」と言われるならそうかもしれない。
しかし、「よくがんばりまちたね」とか「あなたは賢いんでちゅねえ」など歯の浮くような「子供だましの褒め言葉」など言いたくない。なぜなら、「子供はそんなものに騙されるほど阿呆ではない、大人をよく見ている」・・これを子供だましと言うが、絶対騙されるものか!子供にそんなことで軽蔑されたくない。
子供たちが、「あんな怖い大人になるまい、子供や弱者・高齢者に対して愛と寛容の人になろう」・・・と心に期するならうれしいが、馬鹿にされる大人にはなりたくないのである。
子供も勉強するが、私たち(大人)ももっと勉強しなければならない。こどもの先を走ってこそ、子供も「ちょっとはやってみるべか」と思うのではないだろうか?