「せんせ~、楽して志望校に入る方法はないでしょうか?」・・・「あるわけね~だろう!」って私に言われるって思うんで、エースでは誰も聞いては来ませんが、もしあるなら「本当は聞きたい」でしょうね。
でも答えは「な~い」です。(と思うんです)
楽して入る方法がないから「入試には意味がある」のです。
先日も「子供の老人化」ということが掲載されていました。「ロコモティブシンドローム」というのでしょうか?文科省の「体力測定」では「体力は向上している」と??????
まず、成長の早い(早熟な)、栄養状態の極めて良い今時のこどもの数値と、同年齢の昔のこどもの数値を比較しても意味がないとかなり前から思っていました。それより「ロコモティブシンドローム」・・・・「老人化」の方が深刻です。
骨折・脱臼・捻挫・・・お爺さん・お婆さんになっているのです。これは体だけでしょうか?
何かに「挑戦する」という「若さ」さえも減少しているように思えてなりません。結婚もしていない若い時、別に失うものはありません。名誉・・ありません。お金・・ありません。自己破産・・・公民権の停止くらいでしょう問題は。「失敗するのがコワイ」と一様に言います。
リスクを取らずに「メリット」だけは受け取りたい・・・・欲張りでしょう。
宝くじでさえ、買わなければ当たりません。
自分から「持ち出すもの」「提供するもの」「我慢すること」「辛抱すること」があって初めて、なにものかが
手に入ることはありませんか?
まだまだこの世の仕組みは「わたし」にはわかりません。もっと不思議なことがあるのかもしれないのですが、いまのところ「自分から与えないと受け取れない」ように思うんですが・・・・・、皆さんはどう思われていますか?