「最近の若者は・・・」などと言われて数千年来ました。一番変わったのは「豊かさ」でしょう。子供たちは日本の人口は昔から1億3千万とか思っていますが、一億に近づいたのは日露戦争後。江戸時代なぞ3000~4000万人だろう、織田信長の頃は1600万人くらいだろうという推計もあります。
それだけの人口を養える「豊かな社会」が形成されたということですね。
しかしこの「豊かな社会」は、人間の持つ「牙」をも抜く?隠す?働きもしました。申し訳ないのですが瀬田を大都会とは言えないと思いますが、周りの草や木、🐛に全く関心もなく、「広葉樹の名前を上げて御覧なさい」と申しましても・・・・全然。じゃあたとえばと申してもそれきり。関心がないのです。
包丁が使える、ナイフで鉛筆が使える・・・・・もっと簡単に言えば「お弁当のお箸を忘れた」くらいは自分で何とかできるくらいの「生活力」は不可欠です。
「お箸を入れるのを忘れたので、何とかしてやって・・・・・」とお電話を頂くことが年に1回くらいありますが、私は何もしません。いいじゃないですか、1回ぐらい手づかみで食べても。それは極論ですがお子さんがいざとなればなんとかしますよ。
豊かになり何でもそろっていることが、お子様にとって果たしてしあわせか?・・・と考えてしまいます。
覇気がなかったり、小さなトラブルを解決する知恵を持たないで、じっとしている・・・そういうのを見るとイラっとします。じっとしていたら「誰か・・・ご家庭なら保護者様でしょうね・・・がやってくれる」というのは、これは絶対に良くないことです。自然界なら死んじゃう。分からないからじっとしている・・・・まあ、ここから「個別指導」というニーズは生まれたんですが「お子様が意思表示しないのに、求めないのに与える」のはいかがなものでしょうか?
もちろん、高い視点から「これ以上、放任しては取り返しがつかない」という時もあります。お子様は嫌がるかもしれませんが「時」を逃すともういけません。たとえば「中1の英語・数学」・・現時点で「苦手」・・これは放置しておくと「高校進学できる・できない」の問題となり、さらに英語は「高校」「大学」「就職」とついてまわります。
一生の選択肢を限定してしまう・・・きれいごとは止めましょう・・・所得、生活レベルまで下方へ押しやることになります。お子様が「ほんま、わからへんねん」と告白する時は、まことに厳しい、全く分からないときです。
ここまで「放任」するのは絶対よくないのです。
が、勉強以外で「あれ、忘れてない?」とか持ち物の点検などは止めてしまったほうがよくはないでしょうか?