わたしは、満足できません。もちろん全国最低を脱したことは有難いことです。しかし、このテストの実施の仕方にいろいろ問題があることも分かっています。
生徒に「過去問題」の演習をさせるとか、低学力者は欠席させるとか・・・・ありますし、
1960年代はそれが大問題になったんです。
今回、注目しているのは「中学国語A」「中学国語B」の順位です。42位、43位です。
ワースト5です。国語の能力をこのテストだけで計ることはできないのですが、それにしても「根幹の教科」である国語の悪さは、辛いです。ネイティブシガリカンとしては、滋賀県人は「日本語が使えない」のか!と悲しくなります。エース自体はいつも模試では塾平均は全体平均より偏差値で10は上になります。しかし、授業をして「あああああああああ~」ってことは多いのです。
なんで、瀬田の唐橋のムカデ退治・・・しらんの?一休さんの話知らんの?・・という国語以前の「読み聞かせ」「お話を聞いた」ような小学就学以前の問題が一杯見つかります。
日本国民全体が「ペラペラと英会話ができる」必要は私にはわかりません。少々できる程度の私では、とても込み入った会話はできません。だから「通訳」を雇います。ましてや「パーティ」のおしゃれな会話など無理で~す。
両脇の女性がたに飽きられないような「内容を話す」・・・英語的にはめちゃめちゃが精いっぱいです。
それより「母国語である国語を正しく遣える」こと、これこそ国民全体に求めるべきものではないかなあ?と
あほうな私は思うんですがみなさまはどう思われますか?
何でも「やばい」しかいわない若者・・・これは「感性が鈍い」だろうなあと思います。おいしいものを食べても「やばい、車にはねられそうになっても「やばい」、好きな男の子に告白されても「やばい」・・・・なんでも「やばい」・・・・感覚まで「カップラーメンの汁」みたいに濃い、辛い、ものにしか反応しないようになるのではないかと案じます。私たちは「鼠百色」というようなわずかな色合いの違いを楽しむ、誠に繊細な感覚を持って来た伝統があります。色彩・言語ともに大切にしてゆきたいのですが、皆様はどう思われますか?
このまま「読みとれない」「言いたいことが書けない」でいいのでしょうか?