「集中してやれば、能率が上がる」・・・もっともなことです。だいだいダラダラやっていいことは何もありません。しかし、5分や10分で「勉強した!」と言われても、それは「うそやろう」と私は思います。私は「妄想族」で、いざ勉強しようとするとあらゆる「妄想」が湧いてするし、今しなくていいはずの用事が重要に思えてくる・・・・机に向かう・・音も聞こえない集中状態・・になるには時間を要します。
5分や10分はこの「雑念と戦う」のに費やされて実際は全く勉強になりません・・・我ながら恥ずかしいことです。1講座15分という問題集もありますが、集中する前に終わった・・・なにしたか、思い出せん!では「勉強していない」のです。
学年×15分または20分を今まで続けていたらすごいですよね。この15分は、「宿題をする」「課題をする」ではなく「自主的に学習する時間」を指します。
小1で15分、・・・・小5で1時間15分、小6で1時間30分、中1で1時間45分・・・中3で2時間15分です。
わたしはこの時間に「読書」も含めていいと思います。「音楽を聞きながら」とか「ラインをしながら」とかでない限り、集中力に2倍も3倍もさがあるんでしょうか?私はないと思います。上記の「ながらさん」は、前に進もうとしながら、あてどなく流れていく船のような人・・・・後で大変なしっぺ返しが来ます。
ローマは1日にしてならず・・と申します。何事も永年の蓄積あって成し遂げられるのです。
人は「1種類」しかいないのではなりません。十人十色・・と、申すではありませんか。同じように植えても「発芽する」までの時間は異なります。もちろん花の咲く時期も異なり、実のなる時期も異なります。その時期が来るまで
「お百姓さんが、野菜を育てるように、飽きず弛まず、水をやり、肥をやり、雑草を引き、世話をし続ける」ことが必要です。きちんと「自分の世話を続けられた人」は、かならず「花の咲く日・実のなる日」を迎えます。
芽が出ねえや・・・と諦めた人は、「自分の芽を枯らしてしまった」のです。
ある面では「馬鹿正直にやる」ことが必要なんです。