いやあ、「勉強」ってよろしくないですね。「勉」・・つとめる、「強」・・しいる
誰でも嫌でしょう。「教える」これもよくない。「教」って、「つくりにマキ」があるでしょう・・・これ、牧場ですよね。子供が「鞭」で叩かれているようすなんです。
昔の歌ですが「雀の学校の先生が『鞭』をふりふりチーパッパ~」・・・タクトじゃないんです、「鞭」です。「鞭で叩かれる」のは嫌ですもん。
しかし、またここに「本質」もある様にも思うんです。「学問」とは言っていませんよね。「勉強を教える」とは本来こういう部分があるよと古人は言っているのではと思うんです。いわば「詰め込み教育」をするべき時期です。「自主性を重んじる」・・・ということが強く言われて、「子供の支援に当たる」という考えで「ゆとり教育」は挫折しました。いつまでも「強制」はしない方がよい・・・それは絶対です。大賛成です。しかし、「強制するべき時に強制しない」ことはお子様の将来をも奪う重大な問題ではないか?とも思うのです。「やる気が起こったら・・」と言いますが「やる気が先」か「実践が先」か・・・脳科学的には「やるからやる気が起こる」という説も有力です。やることで、「自己肯定感が高まり意欲が高まる」・・良い循環がうまれる。
古人は、この漢字から何を言おうとしたんでしょうか?